… … …(記事全文4,513文字)戦後八十一年。また八月十五日が巡ってきた。
ずっと疑問に思って来たことがある。地理的に遠く離れたナチスドイツとの同盟の意味だ。
かつて日本はドイツの強さに憧れ、同盟を結んだ。一九四〇年九月二十七日、ベルリンで日独伊三国同盟が調印される。
だが問うべきはひとつだ。この同盟に、日本にとっての意味はあったのか。
情緒ではなく、損得で計算してみたい。日本がドイツと組むことで得られるはずだった果実は、四つある。順に数えよう。
第一の果実 ─ 対米抑止
同盟の主目的はこれだった。対米開戦ではない。対米抑止である。
条約第三条は、欧州戦争にも日中戦争にも参加していない第三国——事実上アメリカ——から締約国が攻撃を受けた場合の相互援助を定めた。松岡洋右の計算はこうだ。ドイツが欧州を制すればアメリカは欧州に釘付けになる。そこに日本が加われば、アメリカは二正面作戦を恐れて日本に妥協する。
松岡はさらにソ連を引き込んだ四国連合を構想し、翌年、日ソ中立条約を結んだ。締結後も「これでアメリカとの交渉が容易になる」と語っている。彼の頭の中では、三国同盟も日ソ中立も、対米交渉を有利にするための一本の線だった。
だが、この計算には決定的な穴がある。抑止とは、相手がこちらの意図をどう読むかで決まるものだ。こちらが「これは抑止です」と思っても、相手が「これは脅迫だ」と受け取れば、抑止は成立しない。結果は、正反対に出た。
同盟はアメリカを牽制するどころか、日独伊を「世界征服を企む侵略国家群」として印象づけた。アメリカ世論は反枢軸・反日で固まる。抑止のはずが、敵意の結晶化を招いた。
第一の果実は、腐っていた。
第二の果実 ─ 日中戦争の終結
ドイツが英国を屈服させれば、援蒋ルートは断たれる。蒋介石は干上がり、泥沼の日中戦争を終わらせられる。
もっともらしい。だが二重に破綻している。
第一に、ドイツは英国を屈服させられなかった。バトル・オブ・ブリテンで制空権を取れず、上陸作戦は無期延期となる。三国同盟締結の時点で、この失敗はすでに進行中だった。日本は、実現しない前提の上に国策を積み上げたのである。
第二に、援蒋ルートは英国だけのものではない。アメリカがある。ソ連がある。仮に英国が倒れても、日本が対米関係を悪化させれば、そちらから補給は続く。むしろ三国同盟こそが、アメリカを援蒋に本腰を入れさせた。
戦争を終わらせるために組んだ同盟が、戦争を終わらせない条件を作った。
第三の果実 ─ 南方進出の好機
これは、ある程度実現した。ただし同盟の果実というより、ドイツの勝利の副産物である。
一九四〇年、フランスが敗れ、オランダ本国が倒れた。仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)と蘭印(インドネシア)が主を失う。ここを取れという声が高まった。「バスに乗り遅れるな」である。
この標語をよく見てほしい。バスは他人が運転している。行き先も他人が決める。日本は乗客に過ぎない。それでも「乗り遅れる」ことだけを恐れた。
そしてこの「果実」は、そのまま対米開戦の引き金になった。南部仏印進駐に対しアメリカは在米日本資産を凍結し、石油の対日輸出を止める。日本は、資源を取りに行った結果、資源を断たれた。
取ったものより、失ったものが大きい。これを果実とは呼ばない。
第四の果実 ─ 技術
ここだけは、実質があった。
ドイツの兵器技術は明らかに日本の先を行っていた。ジェットエンジン。ロケット。レーダー。電気魚雷。地理的に遠く共同作戦が組めない以上、この同盟から日本が現実に受け取れるものは、技術と設計図だけである。
逆に言えば、同盟の意味は最終的にここに集約される。技術が届き、日本の生産に組み込まれたなら、同盟には確かに意味があった。
では、どうなったか。

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