… … …(記事全文5,022文字)私は保守派であり、愛国者のつもりだ。
だから自虐史観に捕らわれるつもりはないし、アメリカが正義だと言うつもりも毛頭ない。しかし、先の大戦について、日本は全て正しかったというつもりもない。
正しいとか、間違っているという二者択一の主張を超えて、先の大戦の本質を見抜くべきと考えている。
そしてその本質とは、決して1つではなく、複数ある。
今回、話すことは、その複数ある本質の内の1つであるとは、まず最初に言っておきたい。
なぜ、この話をするかというと、私が今回、指摘する一面は、「官僚の利権、政治家の利権」という、現代において広がっている問題であるからだ。
その視点から、先の大戦について述べたい。
日本がアメリカとの戦争に踏み切った理由を突き詰めていくと、その根底には満州における権益の維持という点が横たわっている。
だがそれは単純な因果関係ではなく、権益を守ろうとした選択が次の選択を縛り、やがて後戻りのできない段階的な連鎖へと日本を追い込んでいった過程として理解する必要がある。話は日露戦争にまで遡る。
多大な犠牲を払ってこの戦争に勝利した日本は、南満州鉄道をはじめとする権益を満州に獲得し、これを「生命線」と呼んで死守すべきものと位置づけた。それ自体は正しい判断だ。
一方でアメリカは、門戸開放と機会均等という正義を掲げ、日本が東アジアで排他的な地歩を築くことに強い警戒感を示した。
この対立の芽は、1931年の満州事変によって決定的な溝へと変わる。関東軍の謀略により引き起こされたこの事変を経て、日本は満州国を建国するが、国際連盟もアメリカもこれを承認しなかった。満州の安定を図ろうとした日本は、その延長線上で華北への影響力拡大を試み、これが1937年の日中戦争へと発展していく。アメリカは自国の権益と国際秩序を守るという「自称正義」のため、そして日本の覇権拡大を阻むために、蒋介石の国民政府への支援に乗り出した。日本にとって、中国大陸での戦果を維持するうえでアメリカの介入は最大の障害となっていった。
日中戦争が泥沼化し、日本軍が仏領インドシナへと進駐すると、アメリカは1941年8月、対日石油全面禁輸という強硬手段に出る。当時の日本は石油の約8割をアメリカに依存しており、この禁輸が続けば国家の経済も軍事も一、二年のうちに機能不全に陥る。この危機を打開すべく行われた外交交渉で、アメリカは軍の撤退と満州国承認の撤回を含む条件、いわゆるハル・ノートを突きつけた。これを受け入れることは、日露戦争以来営々と積み上げてきた満州での権益をすべて手放し、満州事変以前の状態に戻ることを意味した。日本の指導部はこれを拒み、開戦へと突き進む。真珠湾攻撃の直接の動機は資源確保と経済封鎖の打破にあったが、そこまで日本を追い詰めたものこそ、満州をはじめとする東アジアの権益と主導権に対する執着であった。
では、その満州権益を実際に握っていたのは誰か?
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