… … …(記事全文6,004文字)19世紀の初め、イギリスの経済学者デヴィッド・リカードは、貿易がなぜ両方の国を豊かにするのかを一つの理論で示した。
のちに「比較優位」と呼ばれる考え方だ。
各国は自国の中にある資本(お金や設備)と労働力を使い、自分たちが相対的にいちばん上手に作れるものに集中する。イギリスなら毛織物、ポルトガルならワインだ。そしてそれらを交換すれば、どちらの国も、すべてを自前で作るより多くのものを手にできるとリカードは主張した。
ここで大事なのは、ポルトガルが毛織物もワインも、イギリスより上手に作れる場合でさえ成り立つという点だ。得意の度合いに差があれば、自分が「より得意」なほうに専念したほうが得になる。
この発見は、二百年以上たった今も貿易論の土台になっている。ところがリカードは、工場そのものが国境を越えて移転することは想定していなかった。彼の理論は、資本と労働が国の中にとどまり、動くのは「完成した商品」だけだという前提で組み立てられていたのだ。
もし資本(お金や設備)が自由に海外へ出ていけるなら、毛織物の工場はイギリスにこだわらず、いちばん費用の安い国へ移ってしまう。そうなると、「各国が得意分野に特化して仲良く交換する」という構図が完全に崩れてしまうのだ。では、なぜリカードは資本が海外に出ていかないと考えたのか。
彼は主著『経済学および課税の原理』の第七章で、まさにこの疑問に触れている。
「利益がより高い外国があるのに、なぜ資本家はそこへ資本を移さないのか」と、自問したのだ。
答えは主に二つあった。
一つは、外国の法律や習慣、政治の動きがよく分からず、異国の裁判所で自分の財産が守られるのかという不安があったこと。
もう一つは、資本家が生まれ育った国に愛着を持ち、多少利益が減っても自国で商売をしたがるという心理だ。
リカードはこうした不安や愛着が、資本の流出にブレーキをかけると見た。加えて、当時は蒸気船や鉄道がようやく広まり始めた時代で、電信すらまだない。遠い国の工場を経営し、指示を出し、管理することは、現実にきわめて難しかった。
リカードの前提は、その時代の現実に即したものだったが、それから150年ほど後、状況は一変し、工場を海外に移す企業であふれた。
これはリカードが全く想定しなかった状況であり、この時点でリカードの比較優位論は破綻していたはずだった。
デヴィッド・リカード
しかし、このような状況の中で登場したのが、アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンだった。
いよいよ、フリードマンの登場!
なぜフリードマンは自由貿易主義を推進し、破綻したか?
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