… … …(記事全文4,480文字)●7月8日(続き)上越市の反応はいま一つ
予想外に手応えのあった柏崎を後にして、北陸自動車道で柿崎まで移動した。柿崎は以前、中頸城郡柿崎町であったが、現在は上越市に併合され柿崎区となっている。柏崎市に併合されなかったのは賢明だったようである。幹線道路は回避して旧道を走った。道路の両脇には古びた家々が建っており、延々と続いている。ただ、人影はほとんどない。たまに出会った人に挨拶するが、無視される。こういった状態が直江津港フェリーターミナルまで約20キロメートル続き、少し疲れたのでレストランで休憩した。
その後、糸魚川市まで旧道を走り街宣をした。しかし、反応はいま一つであり、すれ違うクルマの中から手を振ってくれる人の方が多かった。上越市のスーパー前で街頭演説をする予定になっており、その時間が迫ってきたので、糸魚川インターから北陸自動車道を使って上越インターまで急いだ。上越地区担当のボランティアさんが約束の場所で待っていてくれた。しかし、はす向かいのホームセンターのお客さんが多いので、場所を変更して街頭演説をした。やはり、上越地区も街頭演説をするスポットが少ない。暗くなってきたため、再び柏崎市を目指した。私は、自宅前で街宣車を降りた。20時まで15分程度ある。「刈羽村内を経由して帰るが、原発反対と叫びながら行く」とドライバーさん。要領を得た発言に「ガンガンやってください」と応じた。
●7月9日 幹事長が北陸3県へ
幹事長が北陸3県(富山、石川、福井)へ応援に入るというので、当初のスケジュールを変更して、私は単身で北陸新幹線を利用して帯同することとなった。このため、朝早く自家用車で上越妙高駅まで行き、クルマを駐車場に停めて新幹線で富山まで行った。だが、大変なのは街宣車ドライバーさんである。街宣車が行かないと音響装置がないため街頭演説が成り立たない。それも、富山~金沢~福井の間をいずれも3時間以内で移動しなければならない。渋滞にでもはまったたら、どうしようもなくなる。
富山駅前はいつもの場所に街宣車がすでに来ていた。まず、幹事長の演説。「長いよ」と事前に言っていたとおり25分程度になった。その後、私が演説した時間は約15分だった。長ければ良いというものではなく、細かい数字を並べるのもNG、と聞いていた。幹事長の演説は途切れることがない。また、考えていることと違う言葉を発してしまった場合、その後の話で辻褄が合うようにしてしまう話術は学ばなければならないと感じた。
金沢駅前には、いつも悩まされる。駅前道路は、バス・タクシー専用で、自家用車は一時停車に限られている。とても街宣車を停車するスペースなどないからだ。3年前は、駅前の交差点近くの道路脇に停車していた。今回は、そのポイント近くの歩道に乗り上げる方法を取った。灼熱の中、幹事長、私と無事演説を終えた。幹事長はメディアの囲み取材を受けている。すると、地元金沢の市議会議員が勝手にマイクを手にして話し始めた。内容は、私の応援を含んでいたが、とにかく話が長い。後で地元の人に聞くと、直接政党とは関係ないが、いつものことだという。単なる利用であるなら自重してもらいたい。
●「外車焼け」はとっくに死語
福井駅前へ移動した。暑さが一段と増したような気がした。だが、地元のボランティアさんたちの勢いはもっと熱い。ペットボトルの水を飲みながら、頭にかけた。幹事長、私と演説が終わると、また市会議員の話が始まった。福井では、さらにもう一人増えていた。無視しながら、街宣車から手を振り日焼けした左腕を集まった人たちに見せ、「見事な外車焼けでしょ」と言うと、私も無視された。外車焼けという意味が通じなかった。今どき、腕を窓から出して運転はしない。エアコンが効いている。また右ハンドルの外車もある。とんでもない昭和の一時的に使われていた死語だった。思いっ切り恥ずかしい思いをした。説明して意味は分かってもらったが。
私は、福井駅発最終の新幹線で上越妙高駅まで帰路についた。そこから、自家用車で約1時間。日付が変わるころようやく帰宅した。
