… … …(記事全文3,300文字)●母の葬儀は終了 あとは四十九日の法要で一段落
母の葬儀は、一通り終え、あとは四十九日の法要とこの地域の風習に沿った納骨を残すのみの状態である。少し落ち着いて考えてみると、施設にいた母が死去しても、私の生活は何ら変わらない。つまり、相変わらずわがままで、めんどうくさい父の介護をしながら、同居していくという生活である。
●父に母の死を伝えるか?
母の病状が急変し、私と弟の妻である祐木子と病院へ駆け付けた。着いた時にはすでに心肺停止状態だった。私は、葬儀屋さんの手配があるので、祐木子に父の昼食の準備を頼んだ。祐木子は、「お父さんにお母さんのこと伝える?」と訊いてきたので、「とりあえず、肺炎が悪化しているとでも言っておいて」と応じた。
●父は母の遺影を準備していた
葬儀屋さんとの打ち合わせの中で、遺影の話になった。私は特に考えていなかったので、少し前の写真があるだろうと、祐木子に電話をしてみた。すると、「お兄さん、大変なの、お父さんは、ちっとも驚く素振りもなく、お母さんは死んだと決めつけて、遺影はこの写真にしろと言っているの。私はそんなこと一言も言っていないのに」と慌てていた。
●写真を葬儀屋さんに持って来て
祐木子には、「父の場合、容体急変との電話があると、『死んだ』になってしまうのかも知れない。以前入院していた時、医師から『家族を呼んでください』との指示があったんだけど。その時、父は喪服を用意したでしょ。夢で見たのかもしれない。とにかく放っておいて、その写真を葬儀屋さんまで持って来て欲しいんだ」と頼んだ。
写真は、フォトスタンドに入れておくと、時間とともにガラスと接着し剥がれなくなる場合がある。ガラス越しでは接写は難しい。祐木子が持って来てくれた写真は見覚えがあり、相当前のものだった。母にしては珍しく笑顔である。父がいつからその写真を遺影にすると決めていたのかは分からない。しかし、全く動揺した様子を見せない父には驚いた。7、8年前、実弟が亡くなった時には、「これで男の兄弟は俺一人になった(男3人、女3人)」と落ち込んでいたのに。写真は、うまく剥がすことができ、遺影として使用可能だった。
●パートナーが死んでも長い間連れ添うと何も感じなくなるのか
