… … …(記事全文4,729文字)大手マスコミは「早稲田閥」と「慶應閥」の文系エリートたちが大きな力を持っている。インターネットの発達により、産業としての新聞やテレビは斜陽となった。だが、現在でも、これらオールドメディアから発信されるニュースが、ジャーナリズムのスタンダードとなっているのは確かだ。高齢者を中心に多くの人がいまも新聞やテレビの報道を信用しており、社会に対しても大きな影響力を持っている。そして、そのスタンダード構築の中心となってきたのが、早稲田や慶應出身の文系エリートたちだった。
もともと新聞やテレビの報道、とくに朝日と毎日系は反権力の気風が強かった。なぜなら戦後ジャーナリズムは、「大東亜戦争」に加担した反省から始まったからだ。検閲に基づく政府の言論統制が当たり前に行われていた時代、新聞とラジオは兵士の武勇伝を書いた従軍戦記や、大本営が発表する連戦連勝の虚構を右から左に垂れ流すことで、国民の戦意を高揚する政府の拡声器に成り下がっていた。
このような御用ジャーナリズムが軍国主義の暴走を招き、日本だけで310万人もの命を失う要因になったという痛切な反省が、戦後のジャーナリストたちにはあった。1947年に施行された日本国憲法の第21条に「表現の自由」や「検閲の禁止」が明記されると、政府や企業による言論介入を許さず権力を監視・批判すること、そして権力の横暴から弱者である庶民の人権を守ることが、ジャーナリストの使命となった。
その「反権力志向」の形成に、早稲田の「在野精神」の気風も少なからず貢献したのは間違いない。実際、早稲田出身者には、反権力志向の強い有名ジャーナリストが多い。『不当逮捕』などの名著を書いた本田靖春(故人)、田中角栄金脈などを追及した児玉隆也(故人)、『朝日ジャーナル』の編集長などを務めた筑紫哲也(故人)、『自動車絶望工場』など潜入ルポを書いた鎌田慧、『「非国民」のすすめ』などを書いた斎藤貴男、朝まで生テレビの司会で知られる田原総一朗、オウム問題を追及した江川紹子などの名があげられる(江川氏がコロナの感染対策やワクチンに肯定的であるのは問題だとわたしは思う)。
しかし、近年、権力の暴走を監視・批判するというジャーナリズムの矜持が、私から見るとすっかり失われたように感じる。政治家の言動を切り取って批判するようなことはあっても、田中金脈問題やリクルート事件のときのように、政治の闇にまで深く切り込んだ追及は行われなくなった。とくに、この5年のコロナ騒ぎに関する報道を見れば、ジャーナリズムから権力監視・批判の矜持が失われてしまったことは、誰の目から見ても明らかだろう。
その最大の象徴が「コロナワクチン」の問題だ。接種が始まった2021年、当時の菅義偉首相と河野太郎初代ワクチン担当相、そしてワクチン推進派の医師たちは、国民の7~8割が2回接種すれば集団免疫ができるかのような発信をしていた。しかし、3回目のブースター接種はおろか、7回目、8回目の接種が行われても、コロナの波が収束することはなかった。それどころか、予防接種健康被害救済制度において、コロナワクチンたった1種類で過去45年間24種類のワクチンすべてを大きく上回る、9153件(うち死亡にかかる認定1014件)もの救済認定が出ている(2025年5月22日時点)。これを「薬害」と言わずして、なんというのだろうか。にもかかわらず、大手マスコミは政府の責任を追及しないどころか、この薬害をほとんどまともに報道してこなかった。
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