… … …(記事全文2,121文字)落語の枕に「京都の人に先の大戦と言うと応仁の乱だと言われた」というのがありますけど、
京都旧市街の市民の多くが自宅前に水路をまたぐ橋を架けていて、その私設橋部分の占用料を京都市に支払っていないということが問題となって、市が徴収に乗り出したのですが、払う・払わないで論争になりました。市内の大半の通路橋は無許可架設らしいのです。徴収条例ができたのは平成の話。今頃なにを言い出すのかという流れですね。
「うちがこの橋をかけたのは540年ほど前の応仁の乱(室町時代)の頃」という人の話を聞いて京都らしい話だなと思いました。
学習院。現在は東京都内にありますが、もとは江戸時代、弘化4年3月、京都御所の日ノ御門前に学問所が開講されたのが始まりでした。
はい。江戸幕府やら武士やらは一切関係ありません。
学習院の起源は、幕末の京都に設けられた公家の教育機関です。
19世紀の初め、光格天皇は朝廷の権威の復活を強く意識し、平安時代におかれた大学寮以来の教育機関の創設を考えたのです。次代の仁孝天皇の時に公家のための学問所を作る計画が決まり、孝明天皇に代わった弘化4年3月、京都御所の東側に学問所の設置が実現して、講義が開始されたのです。
※ 孝明天皇から下賜された「学習院」の勅額
庶民も負けていません。御維新となった明治2年5月21日には日本初の近代小学校である
「上京第二十七番組小学校」が誕生しました。
「番組」という名称がテレビみたいで変ですが、明治期の京都では上京、下京のそれぞれに「番組」と呼ばれる学区が設けられて、番組ごとに小学校が創設されたので、「○○番組小学校」と呼ばれたのです。国が定めた学制領布は明治5年のことですから、学制領布より3年も早くに、京都には近代教育小学校があったことになります。
日本初の近代教育中学校として開校した中学も京都です。明治3年12月に設立された京都府の京都所司代屋敷跡(上京区猪熊通丸太町下ル)に開校した「京都府中学校」(後の京都第一中学校、現在の京都府立洛北高等学校)で上京下京の番組小学校を卒業した生徒を対象とした近代教育中学校でした。
つぎに「京都が日本初」というものをさらに見てみましょう。



