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PL学園と言えば、誰もが知る高校野球の超名門校だ。
甲子園大会での全国制覇は7回。
1978年夏の大会で初優勝を飾ると、1981年春、82年春、83年夏、85年夏、87年は春夏連続優勝。
85年夏は桑田真澄、清原和博コンビによるものだが、この優勝は私には8月12日に起きた日航機墜落事故とセットになって思いだされる。
何としても2人の活躍が見たいと、東京から1人で搭乗した小学生の少年が事故に巻き込まれているからだ。
ともかくこの80年代から90年代にかけての全盛期に監督を務めたのがPLのOBでもある中村順司氏だ。
中村門下には他に立浪和義(元中日ドラゴンズ監督)、松井稼頭央(元西武ライオンズ監督)、福留孝介(元中日ドラゴンズ)などの名選手が名を連ねる。
そんな栄光の数々を有するPL学園硬式野球部が廃部に追い込まれたのは2016年のこと。
暴行事件が相次いだからということだが、いったいどういう経緯でそのような結末に至ったのだろう。
もちろん暴力を擁護するわけではないが、PLのしごきがすごいことは周知の事実であるし、今回の広陵高校のようにスポーツの強豪校で、部員が寮生活を送っている場合、暴行事件はしばしば発生するのになぜPLの場合は、と思うのだ。
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