… … …(記事全文6,143文字)●少しでも関心を持ってもらいたい
この1カ月余り、拉致問題に関するテーマを連続して配信している。これには、理由がある。拉致問題に対する世間の関心が著しく低下しているのを肌で感じるからだ。そして、この問題は、時間が勝負であるにもかかわらず、そのタイムリミットはとうに過ぎている。しかも、高市早苗政権には、本気で取り組む姿勢が感じられない。「豊かな日本、強い日本」と掛け声だけは立派だが、「富国強兵」にしか聞こえない。
物価高、トランプ政権が仕掛けたイラン戦争による石油化学製品の不足、スピード感のない日本政府の対策など先行き不安な状況に鑑みれば、他人のことなど構っていられない、自分のことで精一杯という人が大多数を占めるだろう。しかし、少しでも関心を持ってもらい、政府を追及していかなければならないとの強い思いがある。このままなかったことになど、絶対してはならない。
そこで、本稿では北朝鮮における拉致被害者の消息について書きたい。帰国した5人の拉致被害者らの証言により、推測、伝聞情報も含めて断片的にではあるが、判明していることがある。
●横田めぐみさんの情報がほとんど
拉致問題を白日の下に晒す発端となった、その象徴的存在である横田めぐみさんに関する情報量がやはり、突出している。他の被害者の情報は、それらに付随するものに限られているのが現状である。
北朝鮮工作員の活動を目撃されたため、証拠隠滅のため連れ去ったいわゆる「遭遇拉致」ではないと前稿で書いた。ただし、近くの海岸は監視や警備が厳しいため、一旦自動車に乗せ、人目につかない海岸まで運んだと考えられる。北朝鮮で中学生と分かり、工作員は驚いたという。だが、逆に若い時から教育すれば、優秀な工作員にできるという考え方もあったに違いない。
●万景招待所で曽我ひとみさんと
1977年11月15日、新潟市の自宅近くで拉致されためぐみさんは、工作船で北朝鮮の清津港に着く。それから、9カ月後の1978年8月18日、同じく新潟県佐渡から拉致された曽我ひとみさんをめぐみさんが迎える形で共同生活を送る。場所は、平壌にある「万景台(マンギョンデ)招待所」であった。この招待所は二階建ての建物で、1階には、リビング、キッチン、バス、トイレがあり、2階にはソファーのある応接室、そこには「チンタルレ」というメーカーのテレビが置かれていた。その隣には寝室があり、2台のベッドが置かれていた。当然のことそれぞれの部屋には金日成主席の肖像画が飾られていた。
招待所には、食事を始め身の回りの世話をしてくれる住み込みの「おばさん(アジュモニ)」がいた。日中は女性指導員が訪れ、朝鮮語教育の他、主体(チュチェ)思想や最高指導者への忠誠を叩きこむ教育が行われた。工作機関の管理下にある招待所は、別格で暮らしに不自由することはなかったという。地村保志さんと浜本富貴恵さん、そして原敕晁さん拉致の実行犯である「辛先生」こと辛光洙(シン・ガンス)も訪れた。
「朝鮮語をきちんと勉強すれば、日本に帰ることができる」。そう二人で励まし合いながら頑張った。数カ月で二人はほとんど朝鮮語で会話するようになったという。
●曽我さんと離れる際に渡した赤いバッグ
