… … …(記事全文3,465文字)●河野洋平氏死去
自民党元総裁で、衆院議長を務めた河野洋平氏が8日、死去した。89歳。神奈川県出身。関係者が10日明らかにした。
1993年、宮澤喜一内閣の官房長官として慰安婦問題で「おわびと反省」を表明する「河野談話」を発表し、旧日本軍の関与と強制性を認めた。野党時代の自民党総裁を経験し、党内で「護憲ハト派」の象徴的存在とされた。
1993年の自民の下野を受け、野党・自民党の総裁に就任した。結党以来、首相に就けなかった初の総裁経験者だった。後の民主党政権時代の谷垣禎一氏を加えると二人。1994年、当時の細川護熙首相と現行の小選挙区比例代表並立制導入を柱とする政治改革法案に合意。同年、自民、社会、さきがけ3党連立による村山内閣発足で自民党が政権復帰した際、副総理兼外相を務め、その後の小渕恵三、森喜朗両内閣で外相を務めた。
2003年11月に衆院議長就任。衆議院選挙に立候補せず政界を引退した2009年7月まで、2029日間の議長在任を記録した。これは大島理森氏に次ぎ、憲政史上2番目に長い。2017年5月に当時の安倍晋三首相が憲法9条改正を提起すると「あり得ない」と批判した。
●コメ支援反対行動 外務省前座り込み
この河野洋平氏が、小渕恵三内閣の外務大臣時代、家族会(「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」)及び「救う会」は「コメ支援反対」の闘いを挑んだのであった。小渕首相が脳梗塞で倒れる約1カ月前の2000年3月6日、外務省前に座り込みを行い、コメ支援反対の意思を示した。
当時の私たちの言い分は、次のとおり相当尖っていた。
「コメ支援をしても、本当に困窮している人の元には渡らない。全て金正日総書記や労働党幹部そして軍幹部が手にしてしまう。拉致問題の進展には全く役に立たない。金政権を延命させるだけである」
一方で、河野外務大臣は至って冷静にこう繰り返した。
「皆様の辛い気持ちは分かっているつもり、察するに余りある。日朝がテーブルについて話し合わなければ、黙っていては何も進まない。状況は変わって来ている。米朝も南北も進んでいる。コメ支援はあくまで人道支援である」
当日の天候は雨まじりで非常に寒かった記憶が強く残っている。外務省前で手はかじかみ、そのうちに全身に震えがくるほどだった。私より高齢の人がほとんどだった。そのため、河野外務大臣側から、「外務省の庁舎内で暖を取りませんか」と健康を案じる声が出るほどだった。
●どちらが理にかなっていたか
今になって考えると、救う会に煽られていた部分が大きいが、どちらが理にかなった行動をしているかはすぐに分かる。コメ支援を止めることが目的化してしまっていた。それが実現したら、拉致問題は進展するのか。兵糧攻めにしたならば、金総書記が悲鳴を上げて拉致被害者を差し出してくる、というのが救う会の論理だ。
翻って、当時の政府、外務省は自分たちがやることに自信を持っていた。家族会の言うことは聞かない訳ではないが、少なくとも家族に阿ることはなかった。それが、現在はどうか。長期間救うことができないこと、取り立てて有効な策がないことが相俟って、家族会の発言に右往左往して、救出方針まで家族会の言うとおりになっている拉致問題対策本部がある。
