… … …(記事全文4,647文字)医療は人間の知識や営みの多くを医学的なものに置き換えていくことで、人びとが自分たちを頼るように仕向けていった。その医療依存をより強固にするために利用されてきたのが、「万が一」に備えて「念のため」に受診することこそ、医学的に正しいとする幻想だ──我々の暮らしは病気のリスクに満ちている。原因となる異常をいち早く発見し、治療することができれば、健康を取り戻せる──そうした幻想を国民に植えつけることで、医療は自己増殖を可能にしたのだ。
たとえば、季節性インフルエンザが流行している時期に、咳、鼻水、発熱、関節痛などの症状に襲われた場合には、いち早く医療機関を受診して抗原検査を受け、タミフルやリレンザといった抗ウイルス薬や解熱剤であるアセトアミノフェンを処方してもらうのが、医学的に正しい対応だと多くの人が刷り込まれてきた。実際にインフルエンザの流行が始まると、病院やクリニックには大勢の患者や家族がつめかける。
だが、それが本当に人々にいい結果をもたらしていると言い切れるだろうか。咳、鼻水などの症状があるときに医療機関に行けば、ウイルスをまき散らして通りすがりの人や他の患者に感染を広げてしまう恐れがある。発熱している患者本人も、しんどいのに寒い中わざわざ外に出て、待合室で順番を待っている間に体力を消耗し、かえって症状を悪化させないとも限らない。
そのしんどさを我慢してでも薬をもらえば早く治ると多くの人が信じ込んでいるが、タミフルをはじめとする抗ウイルス薬には、1週間ほど続くインフルエンザの症状を半日か、せいぜい1日短縮する程度の効果しか認められていない(その臨床試験の結果は添付文書に明記されている)。アセトアミノフェンも飲めば楽にはなるが、発熱はウイルスを排除しようとする生体の防御反応であり、それを抑えることでかえって症状が長引くという指摘もある。また、アセトアミノフェンはアナフィラキシーや肝障害など重篤な副作用のリスクもゼロではない。
さらには、そもそもの問題として抗原検査は100%の精度ではない。そのため、陽性だったとしても症状の原因が他のウイルスである可能性を完全否定できない。逆に陰性だったとしてもインフルエンザの可能性を完全否定することもできない。だとすると、わざわざ検査を受けに行くことに、どれだけの医学的意味があるのか分からなくなってくる。実際、私が取材した有名な総合診療医は、インフルエンザの流行中に検査することの意義は小さく、流行状況や臨床症状から診断すれば十分だと話していた。こうした諸々の可能性を考えれば、インフルエンザを疑うような咳、鼻水、発熱、筋肉痛などの症状があった場合には、家でしっかり水分と栄養を摂って休養するのが、医学的には一番の正解かもしれないのだ。
実際にインフルエンザのような症状が出たとしても、小児を含むほとんどの人が寝ていればそのうちに治ってしまう。海外の医療事情に詳しい感染症専門医に取材したこともあるが、欧米ではインフルエンザと思しき症状が出て医療機関を受診したとしても薬が処方されることはまれで、「十分に水分を摂って寝ているように」と言われるだけだと話していた。
にもかかわらず、なぜ日本ではインフルエンザの症状があれば早目に病院へという風潮が生まれたのか。それは第一に、インフルエンザ脳症など重篤化する症例が強調され、「インフルエンザは風邪ではない」と喧伝されたからだ。毎年インフルエンザ脳症で死亡したり、後遺症を負ってしまったりする小児がいるのは確かだ。新型コロナの流行期には激減したが、2023/2024シーズンは189例のインフルエンザ脳症が報告されている(国立健康危機管理研究機構「感染症情報提供サイト」
https://id-info.jihs.go.jp/surveillance/idwr/article/encephalitis/020/index.html)
それを考えると、インフルエンザを侮るべきではないのかもしれない。たが、脳症の危険性の少ない人たちまでが医療機関に殺到することで、真に緊急治療の必要な小児の診療の妨げになっているかもしれないのだ。我々の社会がすべきなのは、どのような場合に受診すべきなのか──39度以上の高熱が3日以上下がらない、食べ物だけでなく水も飲めず脱水状態になっている、ふだんと様子が異なりぐったりしている等々──を適切に情報提供することだろう。だが、「万が一」のリスクを煽られてきた日本では、「念のため」の受診を「正しい」ことだとしてしまった。そのために、リスクの低い人たちまでが、医療機関に殺到するようになった。
購読するとすべてのコメントが読み放題!
購読申込はこちら
購読中の方は、こちらからログイン