… … …(記事全文2,534文字)沖縄が祖国復帰したのは1972年5月15日のことですが、1958年以降、米国統治下の沖縄では米ドルが法定通貨でした。
えっ、終戦からアメリカドルだったんじゃないの?
と思われる方がおられるかも知れませんが、終戦から1958年9月まで、アメリカ軍占領下の沖縄県全域、鹿児島県奄美群島(トカラ列島も含む)ではアメリカ軍のB型軍票(B円)が使用されていました。
※アメリカ軍B型軍票100円券(B号円表示補助通貨)
あまり知られていませんがアメリカ軍のB型軍票は戦後の一時期、日本の法定通貨として定められていました。(アメリカ占領下でしたからね)
※昭和20年9月24日大蔵省令第79号「昭和二十年勅令第五百四十二號ニ基キ聯合國占領軍ノ發行スル「B」號圓表示補助通貨ニ關シ定ムル件」
B円軍票があったのなら、A円軍票は無かったのか?という声が聞こえてきそうですが
ありました。そもそもA円軍票は日本の占領地で通用させるためにアメリカが終戦前にすでに用意していて朝鮮半島で実際に使用され、韓国成立前の南朝鮮の法定通貨としてウォン紙幣の発行まで使われていました。
B円軍票は本土では戦後、日本銀行券や補助通貨の政府紙幣が発行されたため、ほとんど流通しなかったのですが、終戦直後の沖縄は、日本本土とは異なり、法定通貨が機能しない「無通貨状態」に近い極限状態の物々交換経済でした。タバコ(1本からOK)が通貨代わりになるほどの荒廃ぶりで、高額取引はアメリカタバコ1カートンで行われたそうです。
なのでアメリカ軍が大量に軍票を持ちこみ、沖縄、奄美地方の法定通貨としてしまったのです。
その後1958年9月以降、沖縄の法定通貨は琉球政府の下でアメリカドルとなりました。
アメリカドルは長く「金1オンス=35アメリカドル」の固定レートによる金本位制でした。
ところが1971年になり、アメリカのインフレが加速し米国がドル債務を補填するためにドルを供給し、ベトナム戦争にも介入したことからドルと交換できる金の準備額がもはや不足してしまう事態になりました。金本位制の場合は金の準備高以上に紙幣を発行できませんので、アメリカの金本位制がついに行き詰ってしまったのです。
1971年8月15日、アメリカはドルと金との交換を停止して、管理通貨体制に移行しました。
ニクソンショック(ドルショック)と呼ばれています。
ちょうどこの2か月ほど前の1971年(昭和46年)6月17日に日本とアメリカとの間で沖縄返還協定が調印され、沖縄の本土復帰が1972年(昭和47年)5月15日に行われることが決まっていました。
沖縄返還協定調印時点まで円とドルの為替はアメリカが1ドル360円の固定相場で、誰しもがそのレートで資産価値を考えていました。
1万ドルの資産を保有している家庭は本土復帰後は360万円に交換できると考えていたわけですが、ニクソンショックで円ドル相場は急激な円高に見舞われることになります。
このままだと沖縄県民の資産が大幅に目減りするとして返還を前にして社会問題になりました。
実際に1ドル305円で交換という報道がされていました。
普通に考えると為替変動や株価変動というのは経済リスクとしてだれの責任でもないのですが、政府の施政がアメリカ(琉球)が日本に変わるとなると、法定通貨が政府間で決めた期日にドルから円に変わるという解釈も成り立つわけで、為替差損が出たらどうするのという話になったわけですね。




