… … …(記事全文2,549文字)江戸時代、幕府は直轄領(天領)として全国に400万石の領地を直接支配していました。
大名領は全国2000石程度を280藩ほどの大名が支配していた構図で、ほかに旗本領が350万石程度、寺社領、禁裏仙洞御料(天皇領)、公家領などがありました。
天領は全国各地にありましたので幕府は「郡代」10万石以上を管理(江戸中期以降は4名の郡代)、「代官」は数万石を管理し時期により変わりますが40〜50名の代官で管理していました。
時代劇では「悪代官」として商人と結託して悪事を働くパターンが多いのですが、史実ではそのような代官は例外ケースで、ほとんどの代官は幕府の地方行政官として真面目に年貢徴収や地方行政(河川修理、治安維持、検地、検見、領内巡察)をこなす実務官僚で後述しますが少ない代官所役人で大名領に匹敵する幕府領地を管理しなければならず、超多忙だったのが特徴でした。
しかも領民からの評判が悪いと簡単に罷免されましたから、代官も真面目に職務を全うしていたのです。
代官は役料150俵でしたから、幕臣でも最下級のレベルの者から選ばれていたようです。
時代劇では代官が殿様が着るような豪華な服装で登場しますが、役料150俵の小役人ならあり得ない話で公式礼装でも麻上下だったと思われます。
幕府代官は人物評価により厳選された小身の旗本が任命された職だったので、支配地の行政に真面目に取り組んだり、さまざまな業績を上げ、幕府から表彰を受けたり上級職に昇進した代官や、支配地の民衆から慕われ、任期が終了し転任の時に留任を強く希望された代官もたくさんいました。
実際に多忙なので悪事を働く暇もなく、しかも江戸時代中期頃からは御庭番、鳥見役などが将軍や御側御用取次役の密命を受け、全国の大名領や幕府領などに派遣されていたので代官が支配地の商人や親分衆と組んで賄賂をもらったり民衆を苦しめたりするような事は、罷免を恐れてほとんどできなかったはずです。下手をすると勤務不良により身分を剥奪され切腹を言い渡される可能性もありましたからね。
大名領の年貢徴収は過酷で五公五民(年貢率50%)から六公四民(年貢率60%)が普通だったようですが、幕府天領では四公六民が一般的だったようで時代と地域によっては三ツ物成(年貢率30%台)もあったようです。農民は収穫物の七割を自家消費できるので喜んだと思います。
享保の改革以降は五公五民の年貢率もあったようですが、総じて幕末まで、天領の年貢徴収は優しかったと言えると思います。
領民に慕われた代官の記録は全国に残されています。
領民にサツマイモの栽培を奨励した石見国大森(島根県大田市)の代官だった井戸平左衛門の場合、その功績をたたえて建てられた頌徳碑(しょうとくひ)が中国地方4県で500基あるといわれています。
※「いも代官」と領民に慕われた井戸平左衛門


