… … …(記事全文2,605文字)「六衛府さん、入稿数が一本足りません」
とスタッフに言われて急遽、本日入稿することと相成りました。
購読者の方々、申し訳ございませんでした。
李氏朝鮮での儒教は知識人の両班階級や軍人の間で信念の基本的支柱とされました。朝鮮人は儒教を大切にし、儒教教育機関である成均館を高麗時代に作り、李朝は仏教を迫害しました。
仏陀を敬う仏教の普及は儒学の教えの妨げになるからです。
朝鮮の儒教は宋明理学(つまり朱子学と陽明学)で日本にも伝わりましたが、日本の治世者が重用したのは上下の秩序や君臣・父子の関係(大義名分論)を重視する朱子学で幕府の正学(官学)として採用されましたが、陽明学は幕末の志士などの反体制者に好まれました。
江戸幕府の儒者の最高位は「大学頭」(従五位下・林家が世襲)ですが、幕府内では百科事典的な役割しかなく、政治的権力はありませんでした。
李朝の場合、儒学者は科挙合格者だったのですべて政治家・高級官吏ということになります。
李朝の儒者の最高位は成均館の長官「大司成」(テサソン)で正三品堂上官の高い地位でした。
江戸時代の正三位といえば水戸家(従三位)より上、一橋家などの御三卿の格式になります。
儒者が過度に政治に入り込むと、一種の哲学ですから困ったことになります。
朝鮮では地位が高いと徳の高い者とされ上位者には逆らってはいけず封建社会でもあったため、官職者や貴族はそれ以下の賤民・奴婢を自由に使い、その財産を強制的に接収しても位が高いため庶民は訴えを起こせず搾取され続けるという理不尽な社会となりました。
儒教の影響で農業を国定産業の基本とする「農本主義」を産業政策の中核に据え、商業を不当な利益を得る「卑しい」仕事と見なし、農業を「本」、商業を「末」としました。(重農抑商)
現在の韓国でも商売人は卑しい仕事と社会で見做されているのは重農抑商思想が残っているからです。
日本の場合、朱子学だけが政治利用されたこともあり、儒教の政治介入は限られた範囲でした。
事実、科挙制度などは導入されず、幕府の役人となる者は家柄が重視されました。
朝鮮で車輪が発達しなかったのも儒学の影響が考えられます。
軺軒という奇妙な乗物になぜ車輪がついているのか謎だったのですが、
重量がありすぎて2人で担げないから車輪がついているだけで特に意味がなく、
朝鮮の支配層は馬や、人間が担ぐ「ガマ(轎)」と呼ばれる乗り物を好み、車輪の移動は不快なものとみなされていたこと、身分制度が厳格で、人が直接人を運ぶという「人力」を重んじる側面があったのが理由だと最近気づきました。
※ガマ(4人だと100kg以上でも担げるので車輪は無くてもいい)
儒教は朝鮮の街道整備にも障害を残しました。


