■1月19日、シリアの暫定政権軍は一気にユーフラテス川沿いの主要都市ラッカとデルゾールをSDF(シリア民主軍、別名YPG人民防衛隊)の手から奪い返した。つづいて東北部の主要都市であるハサカも管理下においたと報じられたが、19日現在、そこまでは確認できていない。
日本ではほとんど報道されなかったので、内戦が終わった後のシリアで何が起きているかは知られていない。2024年12月8日にアサド政権が倒された後、アフマド・シャラア暫定大統領の下で新しいシリアが誕生した。
だが実際にはシリアの東部、つまりユーフラテス川より東の地域はSDFが支配していた。さらに北西部に位置するシリア第二の都市アレッポにもその支配を広げていた。
アレッポは大都市だが旧市街のすぐ外側にアシュラフィーヤとシャイフ・マクスードという二つの地区があり、ここにはもともとクルド人が多数住んでいた。この二つの地区についてはかつて私自身、40年前にフィールド調査をしたことがある。
二つの地区には、第二次世界大戦が終わる以前にはアルメニア人が住んでいた。第一次世界大戦の時期に現在のトルコがあるアナトリアから追放された彼らが一時的に難民キャンプのようなかたちで居住した。
彼らはその後、町の中心部に移ってアルメニア人街を形成したが、もともと住んでいたこの地区をクルド人に売却した。現在では、アラブ人とクルド人が混在している。
クルド人たちはここに住んでいたが、政治的にSDFの支持者で固まっていたわけではない。このクルド武装勢力は、もともとトルコのPKK(クルディスタン労働者党)と同じ系統なのだが、しばしばクルド人の多い地区に入り込んでは自分たちを支持するように住民を脅迫し人間の盾として利用してきた。昔、あちこちの国に存在した共産ゲリラと同じ手法である。
1990年代のトルコでPKKとトルコ軍との衝突が悲惨な結果を招いたのはこの戦略の結果であり、政府軍側もクルド人の多い村をPKKの拠点と決めつけて攻撃したから事態の悪化を招いた。
現在のエルドアン政権のもとでのトルコは、その前の時代の凄惨な衝突の経験に学び、PKK側の住民人質作戦の挑発には乗らなくなった。
現在トルコで和平プロセスが進展しているのも、この住民を人質に取る戦略が嫌われ、PKKの戦闘員リクルートが進まなくなったことが原因のひとつである。
しかしSDFを率いるマズルーム・アブディは、PKKの指導者オジャランの命令に反して、シリアの領土を分割させようと内戦終結後も軍事行動を続けた。
シャラア暫定大統領は何度も警告を発したが聞き入れなかったため、ついにアレッポのアシュラフィーヤとシェイフ・マクスードを解放し、そのまま全軍が東に向かって逃走するSDF部隊を追撃することになったのである。その際、まず住民をこの地区から解放する作戦を実施し、そのうえでSDFの戦闘部隊に投降を呼びかけた。住民の被害は最小で食い止めたようである。
■ラッカとデルゾールの象徴的な意味
ラッカは2014年から15年にかけて、IS(イスラム国)が首都と宣言した年である。この街をISから奪回することは当時のアメリカにとって最大の目標だった。
オバマ政権はその誕生のときから平和主義を標榜した手前、根拠なく開戦に至ったイラクに続いてシリアに踏み込むことは、たとえイスラム過激派のISが台頭したとは言え国民の理解を得られなかった。
そこでクルドの武装勢力、当時はYPG(人民防衛隊)を名乗っていた現在のSDFを利用したのである。人民防衛隊ではあまりに共産主義勢力のように聞こえるのでのちにアメリカ議会の共和党の重鎮たちが名前をシリア民主軍に変えたのである。
つまりSDFにとってはラッカを支配するということは一種の戦利品だった。
逆にそこから追放されたということは、アメリカがもはやSDFを支持していないことを示していた。彼らにとっては大変な屈辱であっただろう。
さらにデルゾールからも追放されたことはクルド武装勢力の経済的な敗北を意味している。この地域の周辺にはシリアの主要な油田と石油精製施設があるからである。全体量としては大したものではないがシリアにとっては外貨獲得のための資源である。
内戦時代にはこの地域の支配者が石油を精製してアサド政権に売っていた。
シリアでは構成している様々な集団、それらは民族であったり宗教宗派であったりするのだが、一定の原則に立って政権側についたり反発したりするということはない。この地域の石油も、ISが押さえればISがアサド政権と取引していたし、SDFも内戦下ではおなじように取引していた。
これが重要なポイントなのだが常識では考えられない。
クルド勢力はISとは死闘を繰り広げたが、それもアメリカの後ろ盾があって巨額の資金や武器の支援を得てISの支配地域をそのまま我が物にできるとの思惑があったからである。
ここからも追放されてしまったことでSDFの支配地域はかなり狭められた。
リーダーのアブディは読みを間違えていた。いまだにアメリカが支援してくれることに期待をつないだのである。さらに、シャラア暫定政権のイスラム主義を嫌うイスラエルがSDFを支持すると主張したことへの期待もあった。
暫定政権の背後にトルコがいることをイスラエルはひどく嫌っているから、アブディの思惑が見当違いだったわけではない。だがその期待は裏切られた。
アブディは17日に北イラクのクルド地域政府のリーダー、ナチルヴァン・バルザーニを訪ねたが、そこにはアメリカのシリア担当特使トム・バラクも同席していた。もちろん、アブディは窮状を訴えに行ったのだが、バルザーニからもバラク特使からも譲歩を引き出すことはできなかった。
アメリカ議会の外交委員会やアメリカ中央軍など、かつてSDFの後ろ盾となったアメリカの友人たちは、相次いでSDFを追い詰めないようシャラアに要請した。
そこでは、SDFがISの捕虜を収容所に閉じ込めてきたことが彼らの貢献として強調された。
だが、肝心のトランプが動かなかった。
ここでもすでに何回か書いたようにトランプはシリア問題の将来を完全にトルコのエルドアン政権に委ねているからである。
■恐るべきタイミングの見計りかた
私が驚いたのはタイミングだった。
時あたかもグリーンランド領有をめぐってアメリカとデンマーク、イギリスなどNATOのヨーロッパ諸国どの関係は緊張の度を高めていた。アメリカの軍隊を派遣するといいヨーロッパのNATO諸国も軍隊を派遣するという。前代未聞の仲間割れである。
トルコもNATO加盟国であるからこの間の事情を熟知していた。
そもそもシャラア暫定大統領はこれまで念入りにEU諸国の首脳と会談し信頼を得ていた。
EU諸国は、南部のドルーズ、北東部のクルド、そして北西部のアラウィーなどマイノリティに対する包摂的な政策を要求することを忘れなかった。EU諸国は、こういう時に過去に自分が何をしたかをきれいに忘れて、民主主義と自由の説教師としてふるまうのである。
シャラアももちろんそれに応えると約束はしているのだが、ドルーズの背後にはイスラエルがいる。彼らの拠点スウェイダはシリアの最南部に位置し、ゴラン高原からも近い。イスラエルはゴラン高原を違法に占領していてシリアに返還する気はない。
アラウィーはアサド政権の支持基盤だったマイノリティである。イランはアサド政権を支えたが、いまやハメネイの体制は政府に対する抗議運動で多くの死者を出し、米軍が攻撃するかどうかという瀬戸際に追い詰められている。シリア問題に関する限り、イランの凋落は明らかで手の出しようがない。
それに加えて長年アメリカが支援してきたクルドが内戦終結後にシリアを分断して統治する姿勢を明らかにしていたのだから、シャラア暫定大統領としては、どこかのタイミングでこれらの武装勢力を倒さなければならなかった。
マイノリティを弾圧するのではない。
その中の武装勢力だけを壊滅に追い込む必要があったのである。だいたい、十年以上の内戦で、住民にとって大切なのは民族や宗教のアイデンティティで結束することより生活の再建である。
ここで武装集団のリーダーたちが新生シリアでの権益を狙って争っても、住民はもうそれについてこない。
そのタイミングが2026年の年初だったということになる。
■イスラエルの立場を無視した
同じ18日、トルコからの報道によれば、ガザの停戦合意に基づいた平和評議会の創設メンバーとしてトルコのエルドアン大統領、カタールのタミーム首長をトランプ大統領が招待したと伝えられた。具体的な政策の立案には、トルコのハカン・フィダン外相も参加する。実際、この組織の立ち上げはスイスで開かれたダヴォス会議に合わせて行われた。
イスラエルにとって、寝耳に水だったとは思えない。この平和評議会構想にはイスラエルにごく近い、トランプの女婿ジャレド・クシュナーも入っているからである。
だが、ネタニヤフはここまであからさまに彼の意に反する人選が進んでしまうとは思っていなかったかもしれない。
エルドアン大統領やタミーム首長が入らないと、和平の第二段階でのハマスの武装解除と解体は絶対に進まない。パレスチナとガザの解放をめざして戦い続けたハマスに名誉ある撤退を説得できるのは、トルコとカタールしかないのである。
トランプの目下の関心はグリーンランドであり、ノーベル平和賞をくれなかったノルウェー政府への敵意からグリーンランド領有を主張しているという。
NYTにも、ノルウェーの首相に向けたその発言が掲載されているから本気なのだろうが、案ずるべきはトランプの精神と人格である。
グリーンランドを自治領にしているのはデンマークでノルウェーではない。ノーベル賞はノーベル委員会が選定するもので、ノルウェー政府が授与する勲章ではない。
こういう風に、常軌の逸し方に磨きがかかっている時こそ、トランプの関心を逸らすには最適のタイミングであることをトルコ政府はよく理解しているようである。
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