… … …(記事全文2,732文字)韓国政府が発生から半世紀以上隠し続けていた黒歴にに「済州島四・三事件」というのがあります。
1945年8月15日の日本の敗戦から、朝鮮半島でアメリカ軍とソ連軍によって北緯38度線で南北が分割占領され、日本政府に代わり軍政が敷かれることになりました。
南は李承晩政権、北は金日成の北朝鮮労働党政権が、基盤を固めつつありました。
1947年3月1日、朝鮮の南端・済州島最大の街、済州市内で、南北統一された自主独立国家の樹立を訴えるデモを行っていた島民に対して警察が発砲し、島民6名が殺害される事件が起きました。
騎馬警察の馬が沿道にいた子どもを蹴り上げてしまったにも関わらず、それを無視して警察署に入った騎馬警察に対して民衆が詰め寄って抗議したのを民衆が警察に対して襲撃したと警察側が誤認して発砲したことが原因とされています。
この事件の発生により3月10日、済州島全島で親北左派勢力主体による抗議ゼネストが決行され、公務員、一部警察官も加わった4万人規模の島民が抗議の声をあげました。
在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁は朝鮮本土から警察官を大量投入、さらに北部・平安道から逃げてきた若者によって組織した右翼青年団体「西北青年会」を済州島に送り込み、李承晩政権による白色テロ(権力者が反政府運動や革命運動に対して行う激しい弾圧)が行われるようになりました。
李承晩政権は済州島警察の警察官をすべて解雇し、その警察の役割を送り込んだ右翼組織・西北青年会の強硬派に任せるという暴挙に出ます。
西北青年会は反共を掲げて島民への弾圧を重ね、島民の反乱組織の壊滅を図りますが、島民の不満を背景に力を増していた南朝鮮労働党は、1948年4月3日、島民を中心とした人民遊撃隊が結成され武装蜂起を起こします。
これがいわゆる「済州島四・三事件」です。
済州島民の蜂起に対して、韓国本土から鎮圧部隊として陸軍が派遣されることになりましたが、政府の武力弾圧の方針に反抗した部隊による反乱が発生。全羅南道麗水郡に駐屯していた国防警備隊第14連隊では、連隊内の南朝鮮労働党員が反乱を扇動、これに隊員が呼応して部隊ぐるみの反乱になりました。(麗水・順天事件)
反乱は麗水郡から隣の順天郡(現在の順天市)にも波及しましたが、李承晩大統領は鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日に反乱部隊は鎮圧されましたが、反乱軍の一部は北部の山中へ逃げ込み、長く抵抗を続けました。一連の事件処理で韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、左翼支持者と疑われた非武装の民間人8000名が殺害されました。
済州島では朝鮮警備隊(韓国軍の前身)を朝鮮本土から投入し、武装蜂起したものは弾圧されましたが、残存勢力は山間部に逃げ込み、そこからゲリラ戦で対抗するようになったため、治安部隊は潜伏している人民遊撃隊員と彼らに同調する済州島民の処刑・粛清を行いました。
済州島民に対する弾圧は1948年8月15日の大韓民国成立後も韓国軍によって継続して行われた。韓国軍は、島民の住む村を襲うと若者達を連れ出して殺害するとともに、少女達を連れ出して輪姦、虐待を繰り返した後に惨殺したとも言われています。

