… … …(記事全文2,154文字)台湾の三国神と言えば中華民国の国父・孫文、初代中華民国総統・蔣介石、17世紀に台湾両岸を支配した鄭氏政権・鄭成功ですが、あまり知られていないことだと思うのですが、この鄭成功は長崎県生まれで、母親は日本人・田川マツ。鄭成功は長崎県(肥前・平戸)で幼少期を過しています。
鄭成功は1624年(寛永元年)8月27日、中国商人で平戸に居住していた鄭芝龍と平戸藩士、田川七左衛門の娘であるマツとの間に産まれ、7歳まで平戸で過ごし、兄弟を残して父の故郷である明の福建に移ります。
鄭一族は泉州府の厦門島、金門島などを根拠地に密貿易を生業として行っており、政府軍や商売敵との抗争のために私兵を雇い、私的な武力を保有していました。当時のこの地方は倭寇の根拠地であり、武装していないと貿易活動は不可能でした。
鄭成功の父・鄭芝龍は鄭成功が生まれた1624年に活動拠点を日本から台湾に移しています。鄭芝龍の親方である李旦と顔思斉が1625年に死亡すると、彼らの千隻もの武装船団を受け継ぐことになり、明からは官職も与えられます。
鄭芝龍は多彩な人で閩南語、南京官話(当時の中国標準語)、日本語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語を話し、剣道が得意で、スパニッシュ・ギターも弾けたという話が残っています。
息子の鄭成功は秀才だったようで15歳のとき、院考(科挙制度の初期段階である童試のこと)に合格し、泉州府南安県石井郷が祖籍となり、明国人として少年時代を泉州府で過ごすことになります。
鄭成功は21歳の時、父の紹介により明の隆武帝の謁見を賜ることになります。隆武帝は眉目秀麗だった成功のことを気入り、国姓「朱」の名乗りの勅許と「成功」の名を与えられます。それまでは鄭森を名乗っていたようです。
鄭成功は後に台湾西部を統治することになりますが、最初は明国人として「反清復明」を掲げて清と戦っていましたが挫折し、武装商人として私的に各地を占領、統治することになります。ここが重要な点で、鄭成功は明国政府を代表して台湾を統治したのではありません。
※鄭成功の統治区域と影響範囲

