… … …(記事全文2,404文字)あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
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終戦時に朝鮮半島にいた日本人は終戦なので内地に戻らなくてはならないとは思っていなかったようで、終戦5日後の京城日報には
「朝鮮に於る帝国の統治権は厳として存し」、「朝鮮軍(帝国陸軍)は厳としてとして健在である」とし、治安を乱すなら武力行使すると書かれていました。
実際に第17方面軍(京城・7個師団以上)は無傷で残っていました。翌月にアメリカ軍が上陸するまで、朝鮮半島中南部の治安は日本軍が担っていました。朝鮮半島北部は事情が違っていたようで、朝鮮半島に侵入してきたソビエト軍に日本軍は武装解除されシベリアに送られて、北朝鮮で編成された金日成らの警察組織に日本人は酷い目に遭ったそうです。
よく考えてみると内地は空襲で焼け野原になりましたが、空襲を受けなかった朝鮮半島は戦地ではなく平和そのものだったので長く住んでいる人なら「なんで内地に帰還するのだ」と思ったのは自然なことだと思います。
10月になって民間人の内地引き揚げの計画が進められ、内地に引き揚げることになりますが日本人引き揚げ者は1000円の現金と自力で運ぶことができる若干の荷物しか帯行が許されず、その財産のほとんどを現地に残してきたのが史実です。
戦後、南の韓国も北朝鮮も日本が残していった資産を「帰属資産」として接収してしまいますが、明治時代に日本が朝鮮半島を併合した当時、朝鮮はアジア最貧地域で得るものはなにもありませんでした。
日本統治下で日本が敷設した総督府鉄道の総延長は5000km、ガス、水道設備、発電設備、送電インフラなど、途方もない投資が終戦まで行われていました。
北朝鮮に工業地帯が多かったのは戦後に北朝鮮政府が工場を整備したのではなく、終戦までに日本によって整備された発電設備とその電力を利用していた日本企業を戦後に接収したからで、北朝鮮の努力によるものではありません。
日本統治下で平安北道朔州郡に東洋一の出力70万kWで計画され、昭和12年に着工、昭和16年に完成した水豊ダムは現在も北朝鮮が使用して国内に電力を供給しています。
画像は北朝鮮の国章ですが、中央に見えるのは日本が建設した水豊ダムです。
※水豊ダム
他国が建設した施設を自国の国章に使うほど、厚顔な国であることがわかります。
水豊ダムは朝鮮総督府と満州国が鴨緑江の電源開発に合意して建設されたもので、日満国境 (現在の中朝国境) を流れる鴨緑江に、上流から、厚冒 (15.5万kW)、臨江 (9.5万kW)、慈城 (10.4万kW)、輯安 (23.4万kW)、渭原 (18.4万kW)、水豊 (70.0万kW)、義州 (17.3万kW)の7つのダムを建設することで合計約160万kWの電力を得ようと計画された水力発電所の1つです。
日本統治下では鴨緑江の支流、赴戦江・長津江・虚川江にも4つの水力発電所が建設され、戦後、北朝鮮が使用していましたが、朝鮮戦争でアメリカ軍が発電所を空爆したために朝鮮北部が完全にブラックアウトした記録があります。
北朝鮮は弾道ミサイルで周辺国への恫喝を続けていますが、朝鮮有事には北朝鮮のすべての発電所を同時に完全に破壊すれば、ミサイルの誘導も不可能になり、事実上の無力化ができるのではないかと個人的に考えています。正確に照準できる巡航ミサイルが30発もあれば可能です。



