… … …(記事全文2,119文字)朝鮮半島には名付けの慣習があって、とくに跡取りと関係する男の子の場合、一族で定めた厳格な基準で名付けるらしいです。
門中(一族)で系図を編纂する際に、一定の規則の行列字(ハンリョルジャ)とその用法を定めて置いて、子孫がこれに従う様にするのが慣例となっているのがルールで、同じ門中の者なら、名を見ただけで自分との関係(同じ世代なのかの上下関係)がわかるそうです。
日本でも子孫の名付けに通字を用いることがありますが(徳川家なら「家○」)、朝鮮の場合は通字は一代限りであとは代ごとに十二支、五行、十干(または変則)などの規則で字を変えていく方法をとるらしいです。
仮に五行の規則なら初代が「火」の字なら次は「水」だと「さんずい」の字、その次は「金」なら金の部首の字から選ぶようですが、門中ですでに指定されていて同じ宗族の世代ごとに、名前に特定の同じ漢字を使う慣行があり、始祖から〇代目はこの字を使えという宗族共通の決まりがあるそうです。
さて、北朝鮮で建国の父と呼ばれた「金日成」(1912年4月15日 – 1994年7月8日)ですが、三人の男兄弟の長男、三人の男の従兄弟がいるとされています。
右が弟の金英柱、左が金日成
あれ? 前述の行列字になっていませんね。
近代史に詳しい人ならご存知だと思いますが、金日成の本名は金成柱(「ソンジュ」という漢字音に従って「聖柱」または「誠柱」と表記した資料もあります。)で「金日成」の名は朝鮮半島で伝説だった義賊の称号を勝手に窃用したものと考えられています。
名付け規則だと、この代の人は「柱」という字が入っていなければならず、一人だけ「日成」という名だとおかしくなります。
伝説までになった金日成は有名な共匪(共産ゲリラ)頭目だったので日本軍でも資料が残っているのですが、全然別人で、似ても似つかぬ顔貌になっています。
※満洲に関する用兵的観察 防衛省防衛研究所
前列中央右側が本家「金日成」で1901年(明治34年)生まれとされています。北朝鮮の自称「金日成」は1912年生まれなので、11歳も年下ということになります。
この本物の金日成は昭和12年11月13日に日本満洲合同討匪隊に居場所を突き止められ、5時間の激戦の末、討ち取られ戦死しています。





