■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ <1ヶ月にビジネス書5冊を超える知識価値をe-Mailで> ビジネス知識源プレミアム(660円/月:税込)Vol.1361 <Vol.1361号:世界経済の破産の予想(2)> 2023年8月9日:世界の金融資産と金融負債の単純な分析 ウェブで読む:https://foomii.com/00023/20230810080000112522 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ホームページと無料版申し込み http://www.cool-knowledge.com 有料版の申込み/購読管理 https://foomii.com/mypage/ 著者へのメール yoshida@cool-knowledge.com 著者:Systems Research Ltd. Consultant吉田繁治 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 今日は、8月9日です。原爆の経験的記憶があるひとたちは、何人が亡くなったでしょうか。 たぶん人の記憶の初めは、幼稚園か小学校の低学年。6歳あたりが分岐点でしょう。1945年に6歳だった人は現在84歳。84歳まで生きる確率は、意外に高く44.7%です。半数の人が存命です。ほぼ50%の人に、なんらかの記憶はあるでしょう。 1945年・・・今から78年前の今日、8月9日はナガサキに原爆が投下された日でした。4日前の8月6日は、先般G7の会合があってゼレンスキーも来たヒロシマに、人類に対して世界史上初めて原爆が投下された日です。非戦闘員を大量殺戮した戦争犯罪で、人類史上最大級ですが、米国は責任を問われていません。 国際的な強制は法はなく、法は国家の枠内のものであり、戦争は法の外にあるからです。法ではない普遍倫理(宗教の哲学化=カント)のみが戦争を裁けますが、倫理は、実定法ではない。 ここまで書いて、亡くなった父母から後で聞いた、霞の彼方のような、たしか小学3年生だった前後のことを、思い出しました。私の記憶の最初は、その前の、寺子屋のような幼稚園に行っていたことです。何をしていたのか、憶えていない。でも、日に焼けた銀板写真のようにセピア色の、寺子屋の記憶があります。長机の前に座り坊さんの話を聞いていた。何の話か、わからない。 当時は長崎県に住んでいました。私が、父母に尋ねたのです。原爆の日はどうだった? 「あの日は、山の畑に行っていた人たちが、山からどんどん降りて来た。みんな、何かわからない黒い大きな雲が、どんどんあがって、追っかけて来る。とても怖いと言っていた。あとでわかった。これが原爆だった」。海を隔てた遠方だったので、父母は原爆症は免れました。閃光は見ていなくても死の灰は少しは降ったかもしれない。両親とも、ガンで亡くなることはなかった。心臓病でした。 今年はなぜか、ヘッダーに2023年8月9日と書いた途端、全体はぼんやりと、しかし部分は鮮明に思い出したので、書いています。われわれは、それぞれの過去の記憶を満載して、個々人で違う今を生きています。未来は、見えない。 未来は、作られていく。個人の多くの歴史となったそれぞれの過去は、個人の記憶のなかにしかない。過去は消え、戻ってこない。一瞬一瞬、過去を捨てていくのは、人の時間の不思議です。犬には時間の感覚はないでしょう。犬の記憶がどんなものか、わからない。… … …(記事全文11,814文字)