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TERRA LAB ~防災の地理学~

瀧波一誠(戦略地理アドバイザー、(社)日本地域地理研究所代表理事)

瀧波一誠

(第3回)堤防もダムもあるのに、なぜ水害は起きるのか 〜利根川を動かした国と土地の記憶~
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川を動かした国の、水の現在地


地形は「水の道」を覚えている

防災士として各地でお話をしていると、決まって出る質問があります。

「堤防もダムもこれだけ整備されているのに、どうして毎年どこかで水害が起きるのですか」。

これはもっともな問いです。実は、この問いに対する国の答えが近年、大きく書き換わりました。答えを書く前に、まずは1本の川と、その川が流れる平野の成り立ちから始めたいと思います。


東京湾へ注いでいた川

関東平野を流れる利根川は、今でこそ千葉県銚子市で太平洋に注いでいます。

Wilipedia Mapsより

ところが古くは、東京湾(当時の江戸湾)へ注いでいました。

CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=106643829

現在の流路は、土木工事により東へ河道を付け替えた結果です。この付け替えを「利根川東遷」と呼びます。徳川家康の江戸入り(1590年)の後、会の川の締切(1594年)を皮切りに赤堀川の開削などを経て、承応3年(1654年)頃までおよそ60年をかけて進みました。

一度の大工事ではなく、複数世代にわたって少しずつ流路を東へ移していった事業です。なお、その目的には江戸を水害から守るため、新田を開くため、舟運を開くため、東北の伊達政宗への備えのため、と諸説があります。

京浜にけ, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>;, via Wikimedia Commons

第2回の「江戸は地形を読み、造り替えた」と書きました。利根川東遷は、その代表的な実例です。


なぜこの平野は水を貯めるのか

ここで少し、地下へ視点を移します。関東平野が水と縁の深い土地であることには大きく分けて3つの理由があります。

1つ目は、関東平野の成り立ちです。

Original map:maps-for-free.com(Hans Braxmeier)Description of geographical features:Peka - Original map:maps-for-free.com, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=65076481による

関東平野は、地殻変動によって周囲の山地が隆起し、中央がゆっくり沈降していく大きな窪地の底にあたります。沈降の中心は、内陸の幸手や栗橋辺りと東京湾で、この2つを結ぶ線が平野で最も低い軸になります。

地理院地図より

どちらへ水が集まりやすいかは、平野の成り立ちの段階で大きく方向づけられていると言えます。

2つ目は、その窪みがかつては海だったことです。第2回で、東京の下町がかつて海の底だった点に触れましたが、その奥東京湾です。

東木龍七(Touki Ryushichi) 1892-1943 - http://ci.nii.ac.jp/els/110009479813.pdf?id=ART0009947013&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1417850167&cp=, パブリック・ドメイン, https://commons.wikim

約7千年前の縄文海進で、海は内陸およそ70㎞、現在の栃木県栃木市藤岡町付近まで入り込みました。中川沿いの低地もその跡であり、海退後は河川が運んだ泥や砂がこの窪みを埋めていきました。沈降の軸の上に残ったのは、地下水位が高く水はけの悪い場所の多い、若くて柔らかい低地です。

3つ目は、その低地が平らに見えて実は平らではないことです。第1回で見たとおり、低地には河川沿いのわずかに高い自然堤防とその背後の後背湿地、そしてかつての流路が残した旧河道という凹凸があります。中でも旧河道は周囲よりわずかに低く水はけの悪い溝であり、あふれた水をが流入する場所でもあります。同じ低地でも、自宅がどの微地形にあるかで水との付き合い方は変わるのです。


土地が記憶している「水の道」

上記の3つの話を踏まえてカスリーン台風の話に移ります。1947年9月、埼玉県東村の新川通で、利根川の右岸堤防が約350mにわたって切れました。あふれ出た水は現在の利根川の流路ではなく、東遷より前に大利根が流れていた古い低地、現在の中川低地を南へ下りていきました。

CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=92965056

かつての流路、旧河道を含む低く水の抜けにくい帯をおよそ60km流れ、埼玉県東部から東京の東部低地、葛飾・足立・江戸川の各区に達しています。水が土地が記憶している古い水の道を選んだのは偶然はではなく、沈降の軸が水の大きな向きを決め、旧河道の低みが水を吸い寄せたとも言えます。堤防という人造の構造物が崩壊した瞬間、水は迷わず地形に刻まれた水の道へ戻ったのです。
同じ事は近年も起きており、2018年の西日本豪雨で深く浸かった岡山県倉敷市真備町でも、浸水が特に深かった場所は後背湿地や旧河道として地図に描かれていた地域が多く見られたのです。

国土地理院は地形について、地形とは災害の積み重ねによって作り上げられてきたものであり、今の地形から過去の災害の履歴を読み取ることができる、とも述べています。土地に残された水の道は、土地の記憶の一行なのです。
ここで、以前触れた昭和水難観音にも再度触れておきましょう。前橋市大胡地区の荒砥川沿いに、この台風の犠牲者を悼んで1949年に建てられた観音です。第1回では、上流の赤城山麓を襲った土砂災害の記憶としてこの観音を紹介しましたが、同じ台風による豪雨が下流では旧流路をたどって東京までの広大な範囲に浸水をもたらしていたのです。


現代の答えとそれが届かない場所

では、この低地を襲う災害に現代社会はどう備えているのでしょうか。

中川や綾瀬川の流域は、周囲を利根川・江戸川・荒川に囲まれた皿の底のような土地です。川の勾配が緩く、降った雨がなかなか海まで抜けない地形であることに加えて近年は都市化が進み、雨が地面に浸透せず、一気に川へ流れ込むようになりました。

Wikipedia Mapより

そのため、この一帯の中小河川、中川や大落古利根川などが溢れそうになるとその水の一部をいったん地下に取り込み江戸川へ逃がす首都圏外郭放水路が建設されました。

Dddeco at Japanese Wikipedia, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>;, via Wikimedia Commons

埼玉県春日部市、国道16号の真下、地下およそ50mを6.3kmにわたって貫く世界最大級の地下放水路で、2006年に全線が完成しました。縄文海進と川の堆積でできた低地に人が河道を付け替えて都市が建設され、その水はけの悪さを現代になって地下の放水路で補っていると言えます。なお、外郭放水路が担っているのはこの低地の中小河川が溢れるタイプの洪水対策で、カスリーン台風のような利根川本川の破堤をこの施設で止められるわけではありません。

そして、この施設の力をもってしても防ぎきれない雨が現実に降るようになりました。2019年の令和元年東日本台風では、全国142か所で堤防が切れています。

国は既に2015年の関東・東北豪雨の後、施設の能力には限界があり、施設では防ぎきれない大洪水が起こることを念頭に、社会全体で備える方針へ舵を切っていました。続発する災害と気候変動を踏まえ、2020年7月の答申では治水の考え方そのものが見直されています。
なお、これは「行政が水を防ぐのを諦めた」という話ではなく、堤防やダムの整備はむしろ加速しています。その上でハードウェアだけに頼らず、集水域から氾濫域まで流域全体を一体と見なし、国や自治体・企業・住民の全てで治水を担う「流域治水」を推進する姿勢を示したのです。2021年には、これを支える流域治水関連法(特定都市河川浸水被害対策法等の一部を改正する法律)が公布されました。

これまでの治水は、水を河道に閉じ込めることで安全を保つという発想でしたが、流域治水は遊水地や水田、貯留施設、企業や家庭の備えなど、流域の各所で少しずつ分担して治水を受け持つ発想であり、川を締め切って土地を造り替えた東遷とは正反対の発想とも言えます。


あなたに割り当てられた役割

ここで、冒頭の問いについて考えてみましょう。堤防もダムもあるのに水害が起きるのは、施設だけでは防ぎきれない量の雨が降りうるからです。国はこの現実を認め、治水の前提を流域治水に変更しました。そこには「流域に住む一人ひとりの受け持ち」が加わっており、私達も治水の当事者になったのです。
これは私達に責任が押しつけられたということではなく、自分で打てる手が増えたということであり、自分の土地を読む力が個人にも求められているということでもあります。

私達がまずできるのは、災害に関わる地理的条件を避ける時間を作ることであり、それには自分の土地が持つ地理的条件を知ることが必須条件です。最も基礎的な確認方法は、「重ねるハザードマップ」で、自宅の浸水の深さと、その水が引くまでの時間を見ることと、地理院地図の「治水地形分類図」や「で、自宅が自然堤防か、後背湿地か、旧河道か、どの微地形に立地しているかを見ることです。

地理院地図より(治水地形分類図)

地理的条件を把握したら、それを行動に落とし込みます。そのための道具が、マイ・タイムラインです。

台風が接近して川の水位が上がっていく時、自分と家族の事情に合わせて「いつ」「何をするか」を時間の順に並べておく、自分専用の避難計画です。
この概念が生まれたきっかけは、2015年の関東・東北豪雨でした。鬼怒川が決壊し、常総市で逃げ遅れが相次いだことを受けて、国と沿川の市町が集まる協議会が作成したものです。
様式は、上記のサイトや自治体の配布ページから入手できますし、国交省の検討ツール「逃げキッド」も参考になります。

マイ・タイムラインを作ることは、河川流域に住む人々の積み重ねてきた生存戦略の系譜に連なる現代の一手とも言えます。


この連載で、あなたの手元に残るもの

今後この連載を読み進めた方の手元には、1枚のカルテが残ることになります。それは「わが家の土地カルテ」です。自宅の土地がどの災害に比較的耐性があり、どの災害に注意が必要で、何をしておけばよいかを1枚にまとめたもので、全部で16項目で構成されます。

筆者作成

現物のダウンロードはこちら(Word形式とpdf形式を用意しています)。

いきなり16項目は多く見えるので、比較的簡単に埋まる6項目から始めましょう。使う道具は地理院地図、重ねるハザードマップ、そしてJ-SHIS(防災科研の地震ハザードの地図)です。例えば、川沿いの低地に建つ家なら、こう埋まっていきます(数字等は仮のもの)。

1 地形分類 → 低地(沖積低地) [注意]
3 高低差 → 最寄りの川より約1.5m低い [注意]
5 外水氾濫 → 浸水0.5〜3m・継続12時間以上 [注意]
7 土砂災害 → 平地のため該当なし [該当なし]
11 津波・高潮 → 内陸のため該当なし [該当なし]
4 揺れやすさ → やや揺れやすい(軟らかい地盤) [注意]

6つ埋め終えると、「わが家は、地震の揺れと川の氾濫に注意が要る低地。土砂と津波は考えなくてよい」という土地の特徴が見えてきます。記入欄の右には、済・注意・該当なし・情報なしのチェックを付けます。

ここまで来れば、これまで「何となく」で行っていた判断に明確な根拠が生まれます。それは台風が近づいた時にいつ動き始めるかや、家を探す時に候補地の注意点を自分で確認することにも使えますし、水災補償を付けるべきかどうかを誰かに勧められるままではなく、根拠を以て検討できるのです。

実は、ここまで読んでくださった方は、既に3つの項目に手をつけています。第1回で土地の成り立ちを見る目、第2回で危険性の型の見取り図、そして今回、マイ・タイムラインです。
残りは次回から1つずつ埋めていきましょう。次回は全ての土台になる項目1、地形分類についてです。次回、あなたは、自分の土地の地形分類上の区分を自分の手で、5分で見分けられるようになるはずです。

※今回(第3回)までは無料で全文を公開しています。第4回以降は有料購読者限定記事(別途有料販売もあり)となります。

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