… … …(記事全文2,340文字)今の若者たちには想像もつかないだろうが、1991年、33年前の若者たち、今はオジン、オバン、50歳代以降のバブル世代は東京港区芝浦の倉庫街に出現したディスコ「ジュリアナ東京」で深夜、早朝まで踊り狂った。株価暴落のさ中でも、バブルの余熱に酔いしれていたし、消費も増えていた。バブル崩壊が実体景気を萎縮させたのはその後の不動産相場の急落であり、デフレ不況に突入したのは1997年からで、ぞれは政府の緊縮財政と増税、日銀の政策対応の遅れのせいだった。バブル崩壊自体が「デフレ不況」をもたらしたというのは間違いで、元凶は財務省と日銀の政策失敗だった。「失われた30年」の起点は1997年4月であり、1980年代末の「バブル」にのみ目を向けるのは事の真相から逸脱する。
「もはや『バブル後』ではない」とは、日経平均株価が1989年12月29日の3万8915円を超えた2月22日付けの日経新聞電子版記事の見出しである。株高に引きずられるのはメディアだけではない。日銀もそうだ。
